しずかなアンテナ

哲学の瓦礫片のための場所。

2才児の会話は脈絡が無いがテンポがある

 年始ということで実家に帰ると、妹家族がいた。甥(2才半)と母親(わたしの妹)は何かずっと会話をしている。しかしその会話を聞いていると、ひとつずつのやりとりは何か意味があるけれど、全体としてはきわめて脈絡が無いことに気づく。1分のうちに3回くらい話題が切り替わっている。

 話題というか、関心があちこちに飛ぶ。見たものに即座に飛びつき、そこから会話が始まる。次のものに関心が向かうと、また話が切り替わる。どれだけ切り替わっても、母子はずっと会話のやりとりをしている。

 

 関心がころころ変わるのは2才児だから、と考えたが、どうもそうとも言い切れない。母親の方もあれこれ話を切り替えている。

 

 母子の両方が話題をあちこち切り替えるので、脇で聞いている側はついていけなくなる。しかし母子のあいだではなにかが保たれている。一貫した脈絡を維持することよりも、会話のラリーのテンポを保持することに主眼が置かれているように思える。

 

 話題をひとつに固定して会話を続けるということはおそらく大人でもかなり集中力を要することである。ソクラテスはすごい。

 一方、テンポを保持してことばのラリーを続けることも、集中力が求められる。しかしこの場合の集中力は、テーマを固定して対話を続行するための集中力とは、どこか質が違うような気がする。前者の集中力は、意識の集中である。後者の集中力は、意識よりも体で受け止めるための集中、からだ全体に意識が拡散してゆく集中である。そんな気がする。

 

 脈絡が無いけれどテンポのある「会話」は、グルーミング的でもある。しかし甥と妹を見ていると、会話だけでなく、ひっきりなしに体で触れ合っている。おんぶやだっこの様子を見ていると、サルの仲間なのだなぁとおもう。

 サルはことばのやりとりを必要としない。人間の母子は体の触れ合いとことばのやりとりを並行して行っている。体の触れ合いだけで十分にも思える。なぜことばが必要なのだろう。

 

 母子だけならば肌の触れ合いだけで良いのかもしれない。しかし人間は複雑な社会性を持つ。グルーミングだけでは、複雑な社会性を維持することができないのかもしれない。人間の場合、グルーミングは愛撫に接近する。性愛から距離を取った社会性を構築するために、ことばが必要になるのかもしれない。しかしそのことばを使って愛を語ったりもするので、ややこしい。

 

2016年に書いたもの

2016年に書いたもの、学会で発表したことをまとめておくことにする。

(厳密には「2015年度」に含まれるものや、2016年内にpublishされなかったものも含まれるけれど)

 

その1 リフトンの修士論文

「R. J. リフトンのサバイバー研究における「変容」思想について」(2015年度修士論文)

 PTSDの生みの親であるロバート・ジェイ・リフトンという精神医学者を研究テーマに選んだ。日本でPTSDが言及されるとき、基本的に(1)自然災害や犯罪被害のトラウマによるものと、(2)アメリカの兵士が負うもの、という2パターンのイメージがある。(1)の流れが生まれたのは1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が大きい。(2)の流れはベトナム戦争帰還兵から生まれて、このイメージはイラク戦争の帰還兵にも反復されている。

 ベトナム帰還兵がアメリカで不眠やフラッシュバックなどの心理的症状、また家族・恋人との衝突や定職に点けないといった適応障害に苦しんでいたのを、リフトンがかれらの話をじっくりと聞き、PTSD概念を第一次大戦の戦争神経症研究をベースに再整備して疾病概念として成立させた。これが基本ストーリーなのだけれど、このリフトンは広島の被爆者に対して初めて本格的な調査分析を行ったひとでもあった。

 ベトナム帰還兵といっしょにPTSD概念を成立させたひとが、その15年ほど前にたくさんの被爆者から聞き取り調査を行っていた。ベトナムと広島のこのリンクは何なのだ、というところから始まったのが自分の修士論文だった。答えとしては、リフトンは自分の被爆者研究を思想的なベースにしてベトナム帰還兵との対話を続けたということであり、これはかれの著作(Home from the War, またWitness to Extreme Centuryなど)にあっさり何度も書かれている。きわめてざっくりと言い切ると、PTSDの思想的源流のひとつは広島だった。(もうひとつの源流としてショアー/ホロコーストがあるはずなのだけれど、これについては自分はまだ調べきれていない)

 1995年の震災とテロ事件で日本社会はアメリカからPTSDを「直輸入」することになったのだけれど、その源流のひとつが実は国内にあったのだとしたら、1945年から95年までの50年間、わたしたちは何かたいせつなものを聞き落としてきた、耳をふさいできたのではないか。リフトンを研究してゆくと、けっきょくこういう疑問というか、ある種の政治的主張に帰結してしまう。トラウマの問題はパーソナルな問題だが、パーソナルなことは政治的なこと、歴史的なことなのだ。ここらへんの感覚を他人に話してみることもあるのだけれど、素直にわかってくれる人と、どことなく目をそらされてしまう人の二種類に分かれるよなーというのが実感。個人的には臨床心理学のひとがどう受けとるのか興味があるので、こんご機会を作ってゆきたいとおもう。

 あかん、長く書きすぎた。これは文学研究科内の賞をいただいた。嬉しかった。

 

その2 応用哲学会「災いを哲学してゆくということ」

 いろいろと調べものをして書いて発表したのだけれど、練り込み不足が否めない。でもわりと親切に聞いていただいて、とてもありがたかった。発表してよかった。

 日本での「災害研究」は、やはり社会学、心理学、精神医学、そして自然科学が蓄積が多く、そして哲学はほとんど何もしていない。原発事故にハイデガーの技術論を当てはめる論考はいくつも出ていて、とても勉強になるけれど、個人的には臨床的な取り回しの悪さ、小回りの効かなさを感じる。本当に切れ味のよいナイフやメスが必要なところに、重戦車が乗り込んでくるような感覚がある。

 

その3 臨床哲学研究会「小さなもの」

 これは学会ではなく研究室主催の研究会。2016年のいちばんメインの作品。これが書きたかった。これを書くために臨床哲学研究室に来たのだ、とさえおもう(因果関係がごっちゃになっております)。

 論文として通していただいた。公刊は年明けになりそう。

 

その4 「「心のケア」への違和感――熊本地震をめぐって - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

 初めてなんか大きいところに載せてもらった。嬉しかった。しかし熊本から遠く離れて、安全な神戸のカフェで原稿を書いたので、どうも「現場感」に欠ける。友人の宮前君が書いた記事(なぜ被災地はボランティアを活かしきれないのか - 宮前良平|WEBRONZA - 朝日新聞社)はこの現場感がじっくり溢れた良いものだとおもう。

 

その5 自衛隊&PTSD連載

[1]海外派遣隊員「自殺者56名」の背景 - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

[2]隊員への「心のケア」が抱える危うさ - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

[3]ベトナム戦争から生まれたPTSD - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

[4]PTSDの歴史――ベトナムからヒロシマへ - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

[5]防衛省の本音はどこにあるのか - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

 修士論文で調べたこと・考えたことを、「自衛隊」に当てはめるとどうなるか、という筋で書かせてもらった連載。じっくり書いたつもりだけれど、なにかジャーナリズム的に目新しい情報が含まれていたわけでなく、反響とかも特になかった。うーん厳しい。

 

その6 シン・ゴジラが楽しみだったので書いた

『シン・ゴジラ』が描く3・11後の戦慄(上) - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

『シン・ゴジラ』が描く3・11後の戦慄(下) - 高原耕平|WEBRONZA - 朝日新聞社

 シン・ゴジラが楽しみだったので、封切り初日の、さいしょの上演を観に行った。やっぱり面白かった。紹介記事を書かせていただいた。これは比較的読まれたようで、WEBRONZAのランキング一位をしばらく維持した。その後、朝日新聞紙面でもちょこっと紹介してもらった。庵野秀明の褌で取ったプチ金星だった。WEBRONZAの「今年読まれた記事ランキング30」に入っているかなと見てみたら、まったくカスっていなかった。甘くない。

 

その7 弟の個展の文章

 8月に弟が「望遠鏡と顕微鏡」という名前の個展を開いた。その宣伝?文章を書いた。どうも書くときに考えすぎたようで、展示された絵に覆いかぶさってしまう文章になってしまった。刺し身のツマの大根を作るつもりが、ぎとぎとの味噌をべたっと載せてしまったかんじだ。あと、個展は京都のカフェで行われたのだけれど、京都市街に合う文体と、大阪や神戸のそれはどこか違うような気がする。言い過ぎか。

 

その8 質的心理学会「 災害復興過程をめぐる人文学的アプローチの再検討 ―地震学者との対話を通じて―」

 グループ発表というものを初めて行った。一人あたりの持ち時間が10分くらいしかない! これはびっくりした。哲学関連だと短くて30分、45分から60分が相場だ。会場との質疑応答の時間がちゃんと取れなかったのは反省点。

 

その9 災害復興学会「 災害復興再考:「現場」という概念に注目した人文学的アプローチの挑戦」

 これもグループ発表で、「その8」と「9」は同じ友人に誘っていただいて発表したもの。「現場」ってそもそもなんやのん?というテーマ。わりと評判が良かったらしい。短期集中だったけれど、小さな思い出がたくさんある。行って良かった。

 

その10 枚方市の保健センターと日本語よみかき教室の紹介原稿

 まだパブリッシュされていない。いろいろな方に手伝っていただいた。感謝。4か月児健診と赤ちゃんがかわいかった…!

 

その11 「日本人はリフトンをどのように読んできたのか」

 文学研究科紀要『メタヒュシカ』に、修論の一部を載せていただいた。年明け発送作業とのこと。日本で知名度低いリフトンのことをとにかく紹介したいという文章なのだけれど、あまり煮詰まった内容ではない。どう書けば良かっただろうか、手抜きだったんじゃないか、と反省している。

 

その12 DC2申請書 → さっくり非採択

 きわめて遺憾であるよ…!!

 

 11月から12月にかけて書いた文章もあるけれど掲載が年明けになるのでここでは省くことにする。いろいろがんばって&楽しんで書いたけれど、DCやPDの申請書の業績欄でどれくらい「点数」になるか考えてみると、なかなか厳しい。

 

個人的2016年流行語大賞「もらえる」

 「もらえる」という表現が多く使われるようになった。この一年でとても増えたのではないかと思う。世相を反映しているような気がする。

 

 ここでいう「もらえる」は、企業が消費者へ景品を配るときの広告表現である。

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 以前はこういう場合、「もらえる」ではなく「当たる」とか「進呈する」とか表現していた。「もらえる」という表現を企業の側が使うことは避けるのが当然だった。

 

 というのも、「貰う」とは、財物を持たない貧しい側が、富める側から一方的に財物を贈与される場合に使われることばだからだ。「貰う」と言うのはあくまで与えられる側、持たぬ側であり、与える側に対応するのは「めぐむ」である。

したがって「貰う」は経済的な隔絶を端的に前提とした表現であって、要するに何かを貰う者は乞食である。これが「貰う」ということばに共有された感覚だと思っていた。のだけれど、与える側が「もらえる」と自ら言って、与えられる側がそれを疑問に思わずに喜ぶという、奇妙な状況が出現している。

 

 つまり、企業から乞食扱いされとるねんでおまえら。とわたしは思うのだけれど、みんなそうは感じないのか。

 

 「当たる」「進呈する」といった表現が選ばれていたのも、乞食扱いを避けるための婉曲表現だった。ところがその婉曲表現が急に減って、かといって「我が社はお客にこれを恵みます」と言うのでもなく、「もらえる」という主体と客体がごちゃごちゃになった表現が使われるようになった。たいへん気持ち悪い。

 

 「もらえる」を多用し始めたのはスマホゲームの運営だろうと思う。レアキャラクターや「石」が「もらえる」と宣伝するようになった。これが拡大して、一般企業も「もらえる」を使い始めている。こういう流れではないかと考えている。

 もし役所が「もらえる」という表現を福祉給付金や出産祝い金の給付などに用いたら非難轟々だろう。役所が安易に使わないのはさすがにそのあたりのことに敏感だからだろう。しかし数年後は役所も使っているかもしれない。

 

 企業が「もらえる」という表現を使うようになったのは、消費者を乞食扱いするようになったというよりは、消費者の側が乞食扱いを求めているという側面があるようにも思える。「もらえる」と耳元でささやかれて、ムッとするよりは、乞食扱いでもいいからもらえるものはもらっておこうという気分になるようになった。企業の側も、その心理をごまかすよりは、そこにはっきりつけこむほうが効果が大きいと理解し始めた。ひと昔前は「浅ましい」と忌避していた感覚を、経済の劣化が破却した。そういう世相なのだろう。

手を見る、手を触る

 忘年会で、なんとなくすることもなくて、同席者の手を見ていた。

 ある程度知っているひとの手を見ると、なんとなく納得するものがある。ああ、たしかにこのひとはこういう手のひとだなぁと感じる。大きな、わしっとした手。肉付きの良いまるっとした手。細く優美な手。

 うまく表現できないけれど、手の「かんじ」というか、表情というか、手はある種のアトモスフィアをそれぞれ帯びている。顔に「顔つき」があるように、手にも「手つき」がある……と書きたいけれど、「手つき」と書くと別の意味になってしまう。

 

 手がある種の個性を持つことは、日常生活における手の役割の重さ・広さを考えてみれば、そう驚くようなことではない。わたしたちは「顔」が自他の個性の大半を担っているとふだん考えているけれど、実際のところ知覚もコミュニケーションも、顔が全てではない。自分の手が話したり見たりするのではないし、相手の手から聞き取ったり手を見つめるのではないけれど、それにもかかわらず、手は知覚の最前線にいる。

 

 そのために、手はその存在全体に個人の歴史を何層にも沈殿させている。「この手は、苦労してきた人の手だ」などと俗に言う。ちなみにわたしの母はわたしの手を見るといつも「きれいや手やなぁ、苦労してへん手やなぁ」と感心する。感心というのか、なんというのか……。

 

 手は知覚や仕事を多様に引き受けるので、人生のさまざまな経験がそこに沈殿している。皮膚のきめや、傷や、節の具合だけでなく、力の抜け具合や、震えや、ものへの触れ方にも、それらの歴史がそのつど現れている。サーフェイスやかたちや動きをひっくるめた手の存在全体が、人生の年輪のように現れている。

 

 ところがただ現れているだけでなく、その年輪的な手が、やはりいまこのときの作業や知覚において、その最前線で世界のへりを探っている。わたしはこのことがたいそう面白いとおもう。本物の樹木の年輪は幹の内側へくりこまれてしまって、おもてに現れてこない。けれども手は、歴史を引き受けながら、歴史をそのつど生み出している。農夫の指は土をさぐり、ピアニストの指は鍵盤をさぐる。

 

 このようなことを考えていて、ひとつ思い出すことがあった。先日、重度心身障害者の親子が参加するワークショップに、たまたまの偶然でお邪魔した。わたしの近くにいた方は、身体の重い麻痺を生まれたときから持っていて、とくに(どっちか忘れたのだけれど)片半身の麻痺が強いということだった。

 その方の手に触ってみた。麻痺が強い半身の方の手は、ぷにぷにしていた。麻痺の程度が弱い方の手は、肌のおもてがしっかりしていて、表情があった。つまり、動かすことの多い方の手はがっしりしてきて、麻痺の強い方の手は生まれてからずっとやわらかなままなのだった。ひとつのからだに、赤ちゃんの手と大人の手の両方を持ってるんやなぁとおもった。ふしぎな体験だった。その方は、わたしの手をどのように感じ取ったのだろうか、といまになって思った。

マイクロフィルムを使った/記録密度と信頼感は反比例する

 マイクロフィルムを初めて触った。

 神戸の中央図書館で使った。神戸新聞の記事を調べる必要があった。1995年から1997年までの記事で、ネットでは検索できない。マイクロフィルムで保管されている。

 

 フィルムのリールを映写機に取り付けて、手元のツマミでフィルムを巻き取ってゆく。巻き取りはモーターがやってくれるけれど、速度の調整はじぶんでやらなくてはいけない。

 

 アナログではあるけれど、プリンタに接続されていて、スイッチひとつで印刷できる。ただし印刷に適した画面を作るためにはやはり人間が調整する必要がある。

 

 モーターの速度を上げると、画面上の紙面が高速で巻き上がってゆく。速度をゆるめると何日か進んでいたことがわかる。95年3月、紙面が震災から地下鉄サリン事件とオウム騒動に切り替わる。タイムマシンを操作しているような気分になる。

 

 しょっちゅう巻き上げが止まる。モーターが弱っているのか、フィルムの取り付けが悪かったのか。いったん巻き戻してから進めるとうまくいくこともある。機械を使っているけれど結局手作業の感覚がある。なんどトライしてもうまく巻けないリールが一本あった。きょうは見てほしくないのかなぁ、などと思った。ここまでくるとアナログを通り越してオカルトかもしれない。

 

 メディアとしてのマイクロフィルムを考えてみる。片手で掴めるほどのリール(35ミリ)に15日分の紙面が焼き付けられている。記録媒体の密度としては相当低い。

 保存期間はどうか。wikipediaによると、素材によって100年もしくは500年だという。再生に特殊な技術を必要としないのは大きな強みだ。レンズと電球があればとりあえず見れる。DVDだとこうはいかない。

 

 記録密度が上がるほど、読み取りに必要な技術が高度になる。技術が高度になると、それを利用可能な期間が短くなる。人間がメディアに対して感じる信頼感はこの利用可能期間の長さに依存している。メディアの記録密度と信頼感は反比例する。

 

 「この指先ほどのメモリに、何時間分もの動画を詰め込むことができます」と言われると、おおスゴイ、と感じてしまう。けれども、そういった高密度メディアを選択することは、実のところデータを長期保存するつもりがあまりない、ということの裏返しなのかもしれない。データがリッチになるほど刹那的になってゆく。動画の画質や録画時間を際限無く向上させるのは、実のところそれを残すつもりは無く、ただ撮り捨てるためなのかもしれない。

 

 

便箋に時間を吸わせる。

 手紙を書いたあと、その便箋をすぐに封筒に入れて封をせず、しばらく机のうえに置いたままにしておくことがある。便箋が部屋の時間を「吸っている」ようなきぶんになる。すぐに投函しても、2日ほど間を置いてから投函しても、便箋に書いた内容には変化は無い。無いのだけれど、じぶんの手からすぐに引き剥がすのはしょうしょうもったいない気がして、しばし時間を待つ。すぐに送ると電子メールと同じことになってしまう気もするし。

 

 書き上げられた便箋の時間はすでに停まっていて、部屋の時間は進み続ける。けれど便箋の文面のなかには、わたしが一行目から最終行まで書き進めたときの時間が流れている。手紙の受取り手がそれを読むとき、読み手の時間と、わたしが書いたときの時間がある種の仕方で同調している。そしてまた、書いた内容の時間がある。今日の午前中は何をしていて、午後は何をしていた…というような。さらにまた、手紙を書き終えてから、宛先に届くまでのラグがある。手紙の受取り手が読むのは10日ほど前のわたしの時間である。

 

 封を切られ、便箋が広げられ、読まれたとき、手紙は自分の任務をさしあたり達成する。そうして手紙を捨ててしまうひとも中にはいるかもしれないけれど、親しい人から届いたものなら、どこかに保管するだろう。すると、手紙の封が切られた瞬間がもうひとつの時間の焦点をつくる。何年か経ってその手紙を保管庫からふたたび取り出したとき、そのひとは手紙の内容そのものよりも、手紙を受け取ったこと自体にひとつの感情を覚えるだろう。便箋を取り出して読み直すと、そこにまた書き手の時間が再生成されるけれど、それは最初に手紙を受け取って読んだときの時間と同じでもあり、違ってもいる。手紙の内にたくさんの時間が入れ子状になって格納されていて、それを受け止める側の人間の時間を逆に照らし出し、立体的な陰影を作り出す。

 

 そうした複雑さを受け止めることに耐えきれなくなったとき、ひとは「懐かしい」とシンプルに言う。手紙が帯びる複雑な時間の迷宮の内へはまりこむのはよろしくないことであるから。「懐かしい」という表現で迷宮の入口に封をして、日常生活のクリアで充実した時間の流れに復帰する。

 

 電子メールでもこうした迷宮性は実現できなくもないけれど、かなり限定的であるように思える。根本的な違いはラグの有無にある。メールではラグは可能な限り切除される。返信の遅れは負債とみなされる。手紙では返信を待つことは、利息を付けてゆくことになる。時間を吸わせる、ということが可能になる。

 

 では電子メールやLINEは風情を全く欠くのかといえば、そうでもない。とくに紙の手紙と連動するとき、それらは威力を発揮する。手紙のなかで、LINEでやりとりした内容について書き加える。LINEで、手紙を送った報告をする。こういうことをしてしまう。それによって、便箋が受け持つ時間がさらに複線的になってゆく。書き手も受取り手も混乱してゆく。

 

白ランスロットとメル・ギブソン

 高校生のころから、『タクティクスオウガ』の白ランスロットがなんで男なのにスカーフみたいなのを頭に巻いてるのかわからなかった。

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(上記画像はPSP版『運命の輪』。自分がプレイしたのはPS版無印)

 

 さいきんアマゾンで『ブレイブハート』を観たら、メル・ギブソンがけっこう白ランスロットにそっくりだと思った。

 

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(スカーフというより、厚手のキルト地の布みたいですね)

 

 何の証拠も無いけれど、白ランスロットのモデルはブレイブハートのメル・ギブソンなんじゃないかとおもう。敵の正規軍にボコられることや、捕らえられて拷問されることも似てるし(TOのモデルはスコットランドではなくユーゴ内戦で、白ランスロットさんはいちおう死なずにすみますが)。

 

 そんだけの話です。